古書市

今日、買い物に行ったら、地元で古書市が開催されていたので、一寸寄って冷やかしてきました。
特に買うつもりが無くても、本が陳列されているのを見掛けると、誘蛾灯に集う虫の様に、ついつい引き寄せられてしまうのは、書痴の哀しい性なのでしょう。


さて、見回してみると、一般の新刊書店では扱わない珍本・奇書が並んでおります。
箱入りハードカバーの純文学の全集等は、需要がありそうな気がするので、沢山並んでいるのは理解でします。但し、全集物で間の巻が抜けているのは勘弁して貰いたいものです。古書市で並ぶ本は、大抵のものが絶版ですので、ここでコンプリート出来ないと、下手をすると何年も古書店を探し回る羽目になってしまいます。書籍蒐集はそこが楽しみだと言う意見もあるのかもしれませんが、その本が必ず見つかる保障は何処にもありませんので、全集は出来れば一式揃えての販売が望ましいです。
まあ、私が買わない本なので、関係が無いことですが。
夏目漱石の『こころ』の箱入りハードカバーには非常に魅力を感じましたが。


こういった場所では、学術書も結構な数が並んでいます。
各地方の郷土史の研究書が必ず置いてあります。売れ残ったのが全国各地を行脚しているのではないかと邪推してしまいます。
古書ということは、最初に誰かがその本を買っていると言うことです。福島県郷土史とか、鳥取県郷土史とか、何千円もするハードカバーを一体誰が買っていたのか非常に気になります。
趣味で郷土史研究をしている好事家もいらっしゃる様なので、きっとそういった方が買っているのだとは思いますが、趣味で蒐集した書物を(しかも、恐らく金額を考えると数十万円、下手をすると百万円単位になるものを)古本屋に流すのはどういった心境から来るものなのでしょうか。


古書店を見ていると、良くあるのが鉄道の時刻表です。
時刻表は、鉄道の運行時間を調べるためにあるものですので、現在の運行状況が反映されていない古いものを販売しても意味が無いような気がします。
しかし、置いてあるということは、需要があることなのでしょう。
鉄道の時刻表ということは、鉄道マニアが買っていくの間違いないと思われますが、過去の時刻表を見てどうするのでしょうか?
電車に乗ったり、電車の写真を撮影するのが好きというのは、理解可能な範疇です。その時に、好みの車両が何時何処を通るのか事前に調べるために、現行の時刻表を入手するのは自然なことでしょう。
しかし、昭和四十年とか、昭和五十年とかの時刻表を買って、彼らは何をするのでしょうか?
鉄道史を編纂する資料以外に、役に立ちそうも無いのですが。


美術書なども結構ありました。
海外の有名な画家、国内の無名な画家、油彩、水彩、水墨画、絵画だけではなく彫刻、陶芸、刀剣など美術書と一口に言っても様々な種類があります。
そんな中で、一際私の目を惹いたのが「日本海軍」の画集でした。旧日本海軍の軍人達が描いた絵を収集した画集です。書かれているのが大体軍人や、兵器ばかりでした。
それが箱入りハードカバーの大判で出版されているのですが、この書籍、購入者以上に編修した人が何を考えているのか良く分かりません。イラストを書いた人の遺族の方が出版したのでしょうか?


後は、ワゴンに乗っている文庫本や漫画等がありました。
しかし、古書市でこんなものを見ても面白くもなんともありません。平成年間に刊行された文庫本、講談社や新潮社などのベストセラーはブックオフで売っているので、古書市に行くまでもありません。新刊書店で注文して取り寄せられるものは、古書市に置く必要は無いような気がします。
矢張り、こういった所を観るときは、「誰が買うんだこんな本」と思えるような珍本・奇書を期待していますので、宮部みゆき内田康夫が並んでいても面白く有りません。
突っ込みがいのあるものが多いほど楽しめます。特に、ハードカバーで阿呆な内容のものほど、見掛けると嬉しくなってしまいます。
今回も、阿呆な書籍に出会えましたので、かなり堪能できました。


結局何も買いませんでしたが。