本日観た映画

明日の記憶

明日の記憶

渡辺謙主演の映画、『明日の記憶』を見てきました。
この映画の感想を一言で表すならば、「怖かった」です。

怖いといっても、色々な意味がありますが、ここで言う「怖い」は、怪談を見たときの怖さとは別物です。


渡辺謙演じる主人公の佐伯雅行は、五十歳を前にして、アルツハイマー病にかかってしまします。
そのときの病状の進行に伴って、佐伯が周囲を段々と認識できなくなって行くのが非常にリアルに描かれており、世界から自分が浮いてしまっている不安感が見ている側にも伝わってきました。
働き盛りの(多分)エリートビジネスマンが、己の基盤の全てを失い、自らの不甲斐無さに涙し、徐々に精神が疲弊していく様は、流石世界の渡辺謙、非常に優れた演技力で表現しています。
佐伯の心理が伝わってくるのは、渡辺謙の演技力があってこそでしょう。


病気など、誰しもがかかる可能性のある問題ですので、もし自分が佐伯と同じようになってしまったらと考えると、非常に怖くなってきます。

病気に掛かった人間の心理を上手くスクリーンで表現できたからこそ、こういった感想が出てきたのでしょう。


主演だけでなく、周りを取り囲む人間関係も非常にリアルに描かれていると思います。
ただ、病気で疑心暗鬼に駆られている、佐伯のフィルターを通しているので、佐伯に害意を持って接しているように見えたりしますが、彼らの視点でストーリを見ると、必ずしもそうでは無いのかも知れません。
特に、田辺誠一演じる園田は、佐伯がアルツハイマーに掛かっている事を会社に密告します。その為、会社側からは退職の勧告が出されて、最終的には佐伯が社を去る結果になります。
表面的に見ると、園田が出世を目論んで、上司を陥れたかのように見えますが、必ずしもそうであるとは限りません。悪意があった場合、上司に病気のことを密告するのは当然ですが、悪意が無い場合であっても、仕事の進行に支障のある病気を抱えているものが同じプロジェクト内に居れば、報告するのは当然です。
会社に不利益の生じるであろう問題を、義理、人情が有るという理由で黙ったいては会社員失格です。
佐伯が退職するときに、彼のことを影からそっと見送る園崎が映っているシーンがありましたが、あれを見ると、少しなりとも彼は佐伯の事を尊敬しており、又密告したことを申し訳ないと思っていたのでしょう。それを考えると、彼は病気の進行中である佐伯の身を案じ、休む間もない激務の職場から遠ざけて、彼に療養してもらおうと考えていたのかも知れません。憶測に過ぎませんが。


とんねるず木梨憲武が演じる陶芸家も同様かも知れません。
佐伯がアルツハイマーに罹り、ものを忘れたのをいいことに、陶芸の釜の使用料(?)を二重取りしようとします。
しかし、佐伯の視線から見ると病人を食い物しにようとする悪人に見えますが、真相は必ずしもそうだとは限りません。
人間は病気に罹からずとも、物事を忘れることは多々あります。もしかして、木梨の演じていた陶芸家も、うっかり以前支払いがあったことを忘れていただけなのかもしれません。少なくとも、映画の中においては、意図的に料金の二重取りをしようとした明確な証拠はありませんんでした。
主人公の視点から外れると、意外となんとも無いことだったのかもしれません。


ただ、これらのことは、病気の中で苦しんでいる佐伯にとっては非常に辛いことだったのは間違いは無いでしょう。ただでさえナーバスなのに、悪意の有無に関わらず、自分にとって不愉快な出来事があれば、周囲に対して神経質にならざるを得ないと思います。
私は、アルツハイマー病に掛かったことはありませんので、実際の所は何も分かっていないのかもしれませんが、病気に掛かった本人のみでなく、それを支える家族も非常に大変そうでした。



しかも、この映画最後の局面になっても救いが無い辺りも非常にリアルです。
非常に良く出来た作品だとは思いますが、「鬱展開」が苦手な方は、遠慮したほうが良いかもしれません。