書痴の書架より

北斎妖怪百景

北斎妖怪百景

皆様、「葛飾北斎」の名前は勿論ご存知だと思います。
富士山を様々な角度から描いた、かの有名な「富嶽三十六景」の作者であることは今更説明をするまでも無いことだと思います。
一九九九年に雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人、ランクインしていることから、海外でも、否海外でこそ高い評価を受けている画家です。


この北斎に限ったことでは無いのですが、日本の浮世絵といったジャンルは、本来は日本では芸術として看做されてはいなかったようです。実際に版画が販売されていた当時は、今で言う新聞紙や雑誌のような感覚で読み捨てられたり、破れた障子の補修に使われていたそうです。
それが、海外で高い評価を受けると一変して、国内においてもその芸術価値が認められるようになりました。流石は拝欧主義の国日本です。自分の目で見た評価を信じずに、権威のある所の評価を鵜呑みにしています。明治期より連綿と続く悪しき風習です。


欧米の人たちは、浮世絵を芸術として評価しても構わないと思います。元々自分たちの文化の外のことですから、製作された背景など知りようもありませんので、そこに芸術性を認めたらそれが芸術作品であると判断しても仕方の無いことでしょう。
その為、彼らはより完成度の高い作品、芸術価値のある作品を評価、蒐集して芸術の世界のネットワークに宣伝したようです。その際に、あまり芸術作品として宜しくないもの、公の場に出すのを憚られるもの等は、見なかったこととされ、闇の彼方に葬られたのでした。

まあ、違う文化を持った人たちが、別の文化を肯定しているということを考えると、これはかなり日本の文化に好意的に接していると言えるでしょう。


しかし、日本人が浮世絵を同じように評価するのは違うと思います。
特に、昨今の学校教育においては、浮世絵はあたかも美術品として最初から作られていたかの様な教え方をしています。
これは全くの間違えです。
先ほど書いたように、本来浮世絵は大衆の生活の中で安価に配給されていた娯楽の一種です。安価な娯楽だからこそ、障子や襖の補修に使っていたのです。現在のように、版画一枚が十万、百万円単位で売買されていたならば、家財道具の補修になどは使ったりしません。


浮世絵の中には、芸術性の高いものも多数ありますが、本来は娯楽目的として作られたものですから、内容は通俗的で、且つ下品なものも多かったようです。
その代表的なものが、「お化け」と「春画」ではないでしょうか。
そのどちらもが、(特に外人の目から見たら)通俗的、且つ下品で芸術性の低いものとして見られるでしょう。


で、以上が長い前振で、ここから書籍の解説です。
この『北斎妖怪百景』ですが、美術書にはまず載らないであろう、葛飾北斎の妖怪画を多数収録しています。
あの「富嶽三十六景」と同じ筆でびっしりと妖怪画が描かれています。
有名な「お岩さん」や「こはだ小平二」なども収録されています。この二点は、京極夏彦の『嗤う伊右衛門』『覗き小平二』にも収録されています。


「画狂人」の描いた迫力のある絵を見たい方、葛飾北斎の別の一面を知りたい方、是非一度見ては如何でしょうか。