本日観た映画


ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』の感想です。感じたことを適当に書き散らしていきます。
まだ夏休み前だからか、あまり観客が居ませんでした。百人は入るであろうシアターに、二十人も居ませんでした。
漫画・アニメの実写は外れる事が多いので、駄作だと見切りを付けた、或いは『鬼太郎』が不人気だから入場者数が少なかったとは思いたくありません。きっと、夏休みになったらちびっ子たちがこぞって劇場に足を運ぶのでしょう。


夏休みに上映するなら、何故五期アニメの方をやらないのかと疑問に思っていました。テレビの人気も結構あるようですし、きっと当たると思います。
アニメの劇場版は今冬公開の予定のようです。監修に京極夏彦が入っているのが気になります。また、声優出演するのでしょうか?


前作のストーリは原作の「妖怪大裁判」と「天狐」をベースにした話でしたが、今回はオリジナルのストーリになっています。
オリジナルの話ではありますが、原作に登場する妖怪多数登場したり、敵の黒幕としてぬらりひょんが登場したりするので、鬼太郎らしさは十分にあったと思います。原作を実写化したというより、アニメを実写化したと言った方がしっくりくると思います。
ねずみ男の失態により事件が起こり、妖怪が悪事を働き、鬼太郎が解決に乗り出すと、アニメ鬼太郎の基本手順をしっかりと踏んで話が書かれているからそう感じるのでしょう。
また、テレビアニメと違い、一話に二時間もかけられるので、中途半端な感じで終わってしまわなかったのも良かったと思います。私はテレビアニメ五期の感想において、再三時間が短いと書きました。今回の劇場版を観て確信しました。『鬼太郎』は、テレビアニメにおいてももっと放送時間を長くすれば、ストーリが上手く纏まって面白くなります。
毎週二時間とは言いませんが、本編を正味25分位にならないものでしょうか?


主演は前作に続いてウェンツ瑛士。今回もやる気の無い鬼太郎を演じていました。
私はウェンツの鬼太郎は結構好きです。物語導入部分の気だるげな感じが水木作品らしく感じられる所がポイント高いですね。『その後のゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎が一番イメージとして近いと思います。
主人公という立場上、物語の後半は熱血キャラに変貌してしまいます。出来ることならずっとやる気の無いままで居て欲しかったです。


今作のオリジナル設定として、妖怪図書館が登場します。
そこの司書(?)として登場した文車妖妃が結構気に入りました。
それにしても、またマイナーな妖怪が出てきたものです。文車妖妃は原作には多分登場していないと思います。
蔵書を探し出すだけでなく、ノートパソコンを使ってデータベースの検索をしたりと、調物のエキスパートの様です。こういった時代に則した変化を見えるのは面白いですね。
劇場版三作目があったら、また登場してもらいたいキャラクタです。但し、次は着物の丈をもっと長くして欲しいです。猫娘の短いスカートはまだ許せるのですが、和装で太ももまで見えると、とてもはしたない感じがしてしまいます。丈は踝にかかる位が丁度良いでしょう。
演技が残念だと思ったのですが、エンドロールをみて役者が中川翔子だと分かり納得しました。中川翔子なら仕方が無い。


原作漫画において人魚を攫っていた強敵鬼道衆も名前だけは登場していました。鬼道衆は既に解散しているようで、末裔だけの登場となっていました。
その鬼道衆の過去のシーンで、頭目を演じていたのが京極夏彦で驚きました。あの人は小説を書かずに何をやっているのでしょうか?
熱心な水木信者として有名ですから、きっと喜んで出演を快諾したのでしょうね。まあ、私も『鬼太郎』になら、どんな端役でもいいから出てみたいと思っていますので、その気持ちは分からなくもありません。
前情報を全く見ていなかったので、鬼道衆のシーンは兎に角吃驚しました。


ぬらりひょんの補佐役として、アニメでも登場している蛇骨婆が出ていました。残念ながら朱の盆は登場はありません。
エンドロールで役者が佐野史郎と分かり驚きました。まさか男だったとは思いもしませんでした。
アニメでは影の薄い蛇骨婆ですが、劇場版では中々の存在感を放っています。
登場シーンで蛇から婆に変身するのは中々格好よかったです。
また、砂かけ婆との婆対決も見ものです。砂かけの砂壷を奪って、小学生のような取り合いをするのは笑ってしまいました。


背景の妖怪も結構良い味出していました。
身の丈二メートルはあろうかという倉ぼっこが一番印象に残っています。
他のも百目、髪きり、あかなめ、手の目といった水木作品で馴染みのある妖怪たちが出演していました。
そこで見ていてになったのは、背景のキャラは兎も角として、台詞のある妖怪は名前の紹介をして欲しいと感じました。
アニメでは三期以降は妖怪が登場すると、字幕で妖怪名を紹介しています。あれ、テレビを見ているときは付いていて当たり前だと感じて、あまり意識していませんでしたが、劇場版で付いていないのを見ると、とても物足りなく感じてしまいます。
良く考えてみると、あの字幕はとても重要ですよね。日本語は同音異義語が多数あるので、音声だけだと伝わりにくい事が良くありますし、聞き間違いも起こります。特に、妖怪名称など日常生活で使わないものですから、文字で表わさないと分からない事も多いのではないでしょうか。
それが字幕を付けると、視覚によって一発でその妖怪が何なのか認識できます。三期のアニメにおいて、最も優れた点は、もしかすると妖怪名を文字で紹介しているところなのかもしれません。


そして、今回メインとなった妖怪は濡れ女。
原作及びアニメシリーズでは、過去主要キャラとして扱われたことの無い不遇のキャラクタです。一応端役として、漫画では背景として、アニメでは三期に五回くらい登場してはいます。
本来の伝承にある濡れ女は、人の頭に蛇の体を持った姿とされ、しばしば牛鬼の連れ合いであるとされています。『鬼太郎』に登場した妖怪磯女と良く似た姿で、磯女の別称が濡れ女だとする場合もあるようです。
本作での濡れ女は、磯に棲み、人々に悪戯をする人魚とされています。何故か蛇から魚へと設定変更となっています。「鬼道衆」がストーリの核に組み込まれているからでしょうか?
能力はかごめ歌を聞かせた相手を呪い殺すというもの。あまり伝承にある妖怪像とは共通点がありません。必ずしも原典をそのまま採用しなくてはならないわけではありませんが、ここはもう一寸、実際の伝承に沿った能力を持たせて欲しかったです。
最後の決着が付くシーンは結構良かったと思います。妖怪を退治するのではなく、その存在を肯定して、救済するというのは何処かで見た感がするのは否めませんが、悪霊退治の基本方針に沿っていると思います。
将門や道真のように、調伏できない怨霊を祭り上げることによって退けるのと似ているように感じました。
ハッピーエンドと言い切れるものではありませんでしたが、鬼太郎のテーマのひとつ、妖怪と人間の共存をそれなりに良くかけていたと思います。


総合的に観て一作目より、今回の方が面白かったように思います。オリジナルストーリながら、鬼太郎に必要な要素はおおよそ揃っていたからでしょうか?
ぬらりひょんとの決着が付いていませんので、興行的にコケなければ三作目があるでしょう。
コミックの実写作品によくある駄目な部分や瑕疵が目立つので、批判の声もあるようです。
確かによくない部分もありますが、それでも私はこのシリーズが好きですから、続編を希望します。