『魍魎の匣』6     

魍魎の匣』第六話「筥の事」の感想です。
今回は、なんと丸々一話、京極堂の座敷から舞台が動く事無く話が終わってしまいました。
最初に中禅寺婦人が登場したり、回想場面が挿入されてはいましたが、野郎三人の語りあいのみとまるで華の無い回でした。
原作小説においても、京極堂の語りが始まると、中々舞台が変わらないものでしたが、まさかそれをアニメでほぼ忠実に再現するとは思いもよりませんでした。適当に端折って(実際に端折られていましたが)一話かけずに終わるかと思っていましたが、今週一話使ってもまだ終わっていません。
原作ファンとしては、非常に嬉しい展開です。


このアニメにおいて、原作と同じ展開であるにもかかわらず、見ていると原作で受けた印象と異なる感想を得る事が幾つもあります。
今回の話においては、京極堂の語りにいちいち口を挟む関口を鬱陶しく感じるのがそれでした。
原作小説では、大体関口視点で話が進んでいくので、関口に感情移入をして読んでいます。そのため、関口の心理が見えてくるので、関口の行動に違和感を感じる事がありません。
しかし、アニメでは関口の視点からではなく、第三者的、神の視点で物語が進むため、今回の三人の語り合いをニュートラルな目線で見る事ができます。
そのため、関口の発言が京極堂の話の腰を折るように見えてしまいました。
原作の展開に概ね忠実なのに、受ける印象が百八十度変わってくるの不思議な感覚です。
作品媒体の違うと、受けての感じ方が大きくかわってくるものですね。