『ゲゲゲの鬼太郎』5−劇場版

『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』の感想です。

五期のアニメ化され二年ほどたちましたが、漸く劇場版の登場です。三・四期に比べると、テレビ放送開始から劇場版の上映まで随分間が開いているように思います。
一期から四期までの放送中にも何度か劇場版はありましたが、その時は全て他作品との併映で、上映時間も30分程度と短く、あまり劇場版らしからぬコンパクトな作品となっていました。
しかし、今回は『鬼太郎』単品で一時間を超える長編となっており、ファンとしてはとても嬉しく思いました。


五期は原作を無視した、水木先生の作品を改悪した作品だといった意見が結構目立ちますが、私はそうではないと思っています。
確かに、原作や過去の作品と世界観やキャラクタの設定が大幅に変わっている部分がありますので、過去の作品に思い入れを持った人たちからすると五期に違和感があるというのは分からなくはありません。私自身も、製作発表を知った時は戸惑わなかったといえば嘘になります。
だからといって、原作と異なる設定をする事が必ずしも作品の改悪に繋がるというわけではないと思います。
『鬼太郎』は、作品の冒頭に40周年とロゴが出ているので分かると思いますが、大変古い作品です。古くから、四十年以上に渡り多くの人から支持される人気作品ですから、相当の魅力を持った作品であることは間違いありません。
それだけ人々に愛される作品ですから、過去にその魅力に引かれた人が、それを現在に再現しようとするのは自然なことだと思います。
しかし、非常に古い作品なだけに、現在オリジナルの展開の作品をそのまま放送すると、過去のファンは兎も角、メインターゲットである現在の子供たちにとって面白みのある作品になるとは限りません。
何しろ、原作は昭和の製作ですから、今現在とは生活様式や流行、感性など色々なものが様変わりしています。
一期を今見返してみると、当たり前のように和服の人が登場していたり、カレーラスがご馳走だったりといった辺りが非常に時代を感じさせます。また、キャラクタ設定も男の子はやんちゃで元気良く外で遊び、女の子はそこから一歩引いたおとなしい子たちばかりとなっています。
当時はそれが自然な姿だったのでしょうから特に不自然に感じることは無かったでしょうが、今それをそのまま放送してはとても受け入れられるとは思えません。時代が移り変わると共に、時代に則した作品を作らなくては、新規の人に支持されません。
だから、五期の設定変更はスタッフが原作を蔑ろにしてやりたい放題にしているのではなく、原作に敬意を払いつつ、新規ファンを獲得すべく現代に受け入れられる形にアレンジしているのだと思います。
私は五期が水木作品を蔑ろしいしていない証拠は、妖怪をとても丁寧に扱っている点だと思います。過去作品、特に一期と二期はストーリ展開がメインであって、妖怪はただの演出上の表現でしかなかった場合が多々ありました。伝承にある妖怪の名前を使っているだけで、その妖怪の能力や特徴は伝承にあるものと全く一致しない時が幾らでもありました。
しかし、五期ではそういった展開は無く、妖怪好きの目から見ても(私の様な浅学な人間を指して妖怪好きといってしまうのも憚られますが)良くぞここまで伝承を忠実になぞっていると感心する時の方が多かったです。
それは、過去作品の欠点を改善して新作を作るといった意味ではなく、過去の作品を踏まえて新たにより面白い作品を作るというスタッフたちの『鬼太郎』に対する愛情なのではないかと思います。
それが如実に現れていたのは、第三十二話「上陸! 脅威の西洋妖怪」と第四十二話「オベベ沼の妖怪 かわうそ!」だと思います。過去作品とはパラレルな世界観ながら、過去の漫画・アニメの続編とも取れるエピソードで、旧来のファンに対するサービスと、新規のファンを置いてきぼりにしない話にしていました。
過去の作品をリスペクトしつつ、新しい見せ方をして『鬼太郎『を面白い作品にしているといったのが五期なのだと思います。
その五期の集大成ともいえるのがこの劇場版『日本爆裂』だったと感じました。
劇場という桧舞台で、この約二年間に渡る五期の魅力が一気に開放されたように思います。
とても製作サイドの愛情を感じる良作だったので、感想もテレビ放送以上に長くなってしまいました。
前置きが長くなってしまいましたが、御用とお急ぎでない方は、若し良ければ、読んでいってください。
但し、作品のネタばれになる部分が多々ありますので、これから劇場版を見る方はご注意ください。


先ずはいつも通りに妖怪紹介から始めます。
今回は劇場版といった大舞台のためか登場の妖怪は比喩ではなく数え切れないほど数多くいますが、メインキャラとして新規参戦したのは鏡爺、大蛇女、ヤトノカミの三体です。

最初に活躍するのは鏡爺です。
原作とアニメの1・3・4期に登場した古株の妖怪です。アニメ放送時では1期は八話、3期は二話、4期では四話と常に序盤で鬼太郎と対峙していました。五期でも当然一桁台の話数で登場するものだとばかり思っていました。
ところが、五期では二年目に入っても出てくる気配がありませんでしたので、てっきり切り捨てられたのではないかと心配していました。
何しろ、小女誘拐犯(前科四犯)なのですから、放送コードが厳しくなっている昨今の規制の対象になってもおかしくないですからね。
しかし、今回の劇場版にメインの敵役のうちの一体として登場してほっとしました。
あまりにも出番が遅すぎた為、少女誘拐犯として天狗ポリスに捕まって、飛騨の獄中でお勤め中かと妄想していた時期もありましたから、この劇場版といった大舞台それも初の長編での起用は感慨も一入です。
但し、声がイメージと違ったのが玉に瑕でした。爺と言う割には若すぎるボイスでしたから、出来ることならもう一寸ヨボヨボの声の方が良かったです。
さて、この鏡爺ですが、原作漫画内では奈良出身となっていますが、どうやら奈良にはこの爺の伝承は無い模様です。
鏡の世界に入り込む妖怪の伝承といったものも聞いた記憶はありませんし、恐らく水木先生の創作された妖怪なのでしょう。
原作・テレビアニメ・劇場版ともに大体同じ能力と性格を持ったキャラクタとして描かれています。
能力は鏡を使って空間を自由に移動する事と、他人を鏡の世界に引きこむ事です。鏡に人を引きずりこむといった能力は、伝統的な妖怪像といったよりか、ホラー映画からの影響ではないかと思えます。
そして最大の問題点である趣味は鏡の中から美少女を覗くこと、そしてその少女を鏡の中に閉じ込めてずっと観賞していること。もう、どうやってもフォローできない、誰の目から見ても変態以外の何者でもない極めて特殊な性癖の持ち主です。
一期から四十年に渡り美少女を視姦し続ける辺り、末期の窃視症を患っている真性のロリコンで、恐らく救済手段は無いのではないかと思われます。
今回の劇場版では、相変わらず変態ぶりは健在なのですが、過去作よりも様々な面で能力が強化されていました。
新能力のひとつは、鏡像を使っての幻覚でしょうか、巨体となって襲ってきたり、複数の手を鏡から伸ばして対象を捉えるといった能力を使用します。
他にも鏡を使った新能力に、鏡に映った姿を実体化させた分身の術が登場しました。鏡を使う能力者にはありがちな力の様な気もしますが、劇場版のクオリティの高い映像だと、素直に凄いと感じられました。
また、鏡を使用しない直接の肉弾戦でも鬼太郎に引けを取らないどころか、互角以上の奮戦をして、格闘能力の高さを見せてくれました。ロリコンの変態爺らしからぬ殺陣の格好良さに驚きました。小豆洗いもそうでしたが、五期は既存の爺の格闘能力の向上が目覚しいですね。この調子で他にも強い爺を出してもらいたいものです。次の強化爺は四十七士入りが決まった山爺辺りでしょうか?
この鏡爺に今後再登場の機会があれば、是非とも夜道怪と本気の格闘戦をして貰いたいものです。


次いで活躍した敵は大蛇女です。
原作にも、過去のアニメにも登場してはいませんので、これは劇場版オリジナルの妖怪で間違いないかと思います。
大蛇女なる妖怪は少なくとも私が知る限り伝承にはありません。蛇の姿をした女、或いは人間の女に化けた蛇といった妖怪は数多くいますので、もしかすると「大蛇女」といった名称の妖怪が伝承にあったとしても不思議ではありませんが、多分今回の劇場版に登場した妖怪とは無関係でしょう。
水木先生がイラストを書いていたといった事もどうやらなさそうです。
結局のところ、夜刀神の手下として登場したに過ぎませんからね。


最後は黒幕のヤトノカミです。大蛇女同様にこの劇場版が初出演となります。
これは妖怪と呼んでいいのか微妙なところの様な気がします。祟り神や禍神と言った方が正しい様な気がしますが、鬼太郎の敵として登場している以上妖怪なのでしょう。
ヤトノカミは漢字で書くと「夜刀神」ですが、夜と刀に関わる神様というわけではないようで、どうやら当て字として夜刀と表記されているようです。ヤトノカミの「ヤト」は谷を意味していて、谷や草原住んでいるからヤトノカミといった名前になったようです。
常陸国風土記』に登場しており、そこでは土地を開墾しようとすると、多くの夜刀神が現れてそれを妨害しようとしたとあるので、固体名や一代一種の存在ではなく種族としての名称なのでしょう。
その姿は角の生えた蛇だとされ、多くの蛇を従えるともいわれています。そして、その姿を見たものの家系は滅んでしまうというので、相当強力な力があるのでしょう。こんな強力な祟り神が何匹もいたなんて、千四、五百年前の常陸、今の茨城県はどれだけ危ない場所だったのでしょうか?
劇場版に登場のヤトノカミは少年、青年、真の姿と三形態が登場しますが、いずれも額に角を生やした蛇がベースになっています。伝承の姿を基盤にしつつ、話を膨らませるために更に凶暴な姿に変えていました。特に最終形態は巨大且つ凶暴で今までのシリーズに出ていたどの巨大妖怪をも上回る巨体でした。何しろ、本体の眼球がビルよりも大きいのですから、全長はキロメートル単位で測らないとならないでしょう。
直接戦闘をするのですから、流石に目撃しただけで一族郎党即死といった凶悪な能力は備わっていませんでした。とはいえ、それを彷彿させるような凶悪な能力を持ていましたので、大枠は伝承からそれ程外れてはいませんでした。
初の長編劇場版に相応しい強大な敵で、宣伝の「妖怪を超えた敵」の謳い文句に間違いはありませんでした。



・「ゲゲゲまつりだ五大鬼太郎!!」
一期から五期の五人の鬼太郎が同時に集うといった驚きの企画で、はじめて知った時は凄い事を思いついたものだなと感心しました。
実際に見ると、思った以上に楽しめました。まあ、映画導入部の舞台挨拶みたいなものなので、話の筋などは無いのでその部分に関しては期待してはいけません。五大鬼太郎が同時に出てくると、各期の鬼太郎たちの違いが明確に分かってとても興味深いものになっていました。同じ鬼太郎と言っても頭身が違っていたり、性格が違っていて、どれも鬼太郎なのにそれぞれに個性があるなと思いました。
特に、五人並んでいると三期の鬼太郎が浮いて見えます。一作ずつ間を開けてみていたときは気付きませんでしたが、他の鬼太郎たちが比較的のんびりとした等身大の少年といった感じなのに対して、三期の鬼太郎は矢鱈と元気が良くアグレッシブな感じがします。人間を守るヒーローとしての性質を強くしたためか、他の四人の鬼太郎と比べると、良く言えばやんちゃな感じ、悪く言うと凶悪といった感じになっています。
三期にアンチが多いのがなんとなく分かりました。確かに、他の鬼太郎と比べると異質だと感じても不思議ではありません。三期開始の当時は、旧来のファンにとって性格が違った鬼太郎が許せなかったのでしょう。
この「ゲゲゲまつりだ五大鬼太郎!!」で一番良かったところは、四期鬼太郎がねこ娘の影に隠れている五期鬼太郎を見つけた時に叫んだ「君の後ろに黒い影」という台詞でした。四期の鬼太郎の予告の時に言っていたお馴染みの台詞がここで聞けるとは思ってもいませんでした。どうせなら、三期の「扉の向こうで何かが起こる」も入れて欲しかったです。
五大鬼太郎と銘打っていますが、五大なのは鬼太郎だけでなく、ねずみ男とねこ娘も五人揃っていました。
どうせなら、一期からレギュラーとして活躍している目玉親父、こなきじじい、砂かけ婆、ぬりかべ、一反木綿も五人出して欲しかったです。
また、桃屋の「あんた顔が変よ」の鬼太郎?もこっそり参加で実は六大鬼太郎になっていました。そいつを出すならば、墓場も出してやれよと思ったのですが、世界観が違うので出せなかったのでしょうか?仮に墓場も出したなら、多分次はウェンツ、月曜ドラマランドも出せよといわれるのでしょうね。そうなったら八大鬼太郎揃い踏み。
月曜ドラマランドは無理としても、墓場とウェンツは出せるのではないかと思うので、次の劇場版があったら是非やってもらいたいです。


・風祭華
本作におけるヒロインはアニメの『鬼太郎』では珍しく高校生(中学生かも?)の女の子となっています。
アニメでは大抵ゲストヒロインは、特に鏡爺が絡むとなれば小学生なので意外に思いました。アニメ版において鏡爺が過去に攫った被害者は、一期ではカオリちゃん(多分小学生)、三期ではユメコちゃん(小学生)、四期では佑子ちゃん(小学生)でしたから、今回も小学生の方が良かったと思います。何しろ稀代のロリコン爺ですから。
これがウェンツ版なら納得なんですけどね。
妖怪の存在を信じて、鬼太郎に手紙を出すといった行為は、大人とも言える高校生よりか、純真な小学生の方が似合っているから、過去の作品ではヒロインが小学生だったのでしょう。また、主な視聴者層が小学生だからといったマーケティングの事情も絡んでいたのかもしれません。
今回の高校生ヒロインになったのは、ストーリの展開上クライマックスのシーンを演じるのが小学生では似合わないので、もう少し年上に設定したのでしょう。
そして相変わらずヒロインに惚れる鬼太郎。これは毎度の事なので、もう気になりません。
それにしても、鬼太郎は年上の女性に惚れる傾向が強いようです。どうやら年上好みなようです。恋の相手は、大抵鬼太郎よりか身長が高いため、いつもバランスが取れないなと感じています。まあ、全て破局するのですから、釣り合いを気にする必要などありませんけどね。
年上趣味では、同世代に見えるねこ娘が相手にされないのも仕方ないのでしょう。


・妖怪探索
華が異変を感じて妖怪ポストに手紙を入れるのですが、鬼太郎が手紙を受け取った時には既に華は攫われてしまっていました。そこで、彼女を救出するために行動する鬼太郎。そこで謎の妖怪大蛇女に遭遇します。
ここで目を見張るアクションシーンが起こります。劇場版ということで気合を入れて製作したためか、映像が美しいだけでなく、アクションの動きも滑らか勝つダイナミックなものになっています。
テレビ放送の七割り増しくらいに格好良い。立体感のある迫力のある戦闘に、流石は劇場版と感動してしまいました。
このシーンで一番お気に入りなのは、戦闘開始と同時に鬼太郎が目玉親父を手の上に移すところです。手に乗せたら邪魔になるのではと思ったのですが、その後鬼太郎は常套手段である髪の毛針を発射。お父さんを巻き込まないようにする息子の気遣いだと分かり、芸が細かいなと感心しました。
その後、妖しい動きをする怪人物をねこ娘が捕獲します。当然の如くねずみ男でした。華を心配する学校の教師から依頼を受けて、妖怪退治の探索中とのたまうねずみ男が持っていた名刺には、あの「代表尻捲役」の文字が見えました。相変わらずそんな妖しい肩書きを名乗っているとは、そして、そんな役職の人間を信じる学校の先生のセンスを疑います。


・鏡爺と学校で対戦
鏡爺対鬼太郎の第一ラウンドは華の通う学校。
ねずみ男とねこ娘、そして何故かこなきじじいが同行します。このこなきじじいの同行は何の意味があったのか未だに分かりません。特に目覚しい活躍するわけでも、その後のストーリの伏線になるわけでもありませんでした。砂かけ婆も一緒なら、鬼太郎ファミリーにとりあえずの見せ場を与えようといった意図があると考えるのですが、この後砂かけ婆やぬりかべの見せ場らしいものが全く無かったことを考えると、そういった事情でもなさそうです。単純にスタッフにこなき好きがいたからでしょうか?
ここでは学校の窓ガラスを鏡として巨大鏡爺が鬼太郎の前に現れます。
この巨大鏡爺、『ターミネーター2』に出てくるT2000見たいでとても気持ち悪いです。CGであるのが明らかに分かり、他のキャラや背景から浮いて見えるのでなおさらです。確かに滑らかな動きは凄いし、鏡を立体的に動かしているのは分かるのですが、この演出、もう一寸どうにかして貰いたかったです。
かつて無い程の強化された鏡爺の前に絶体絶命の一行。ねずみ男の裏切りもあって、一同皆鏡の中へと吸い込まれます。
そして、鏡爺の能力により別の場所へと飛ばされるねこ娘。ここで今回の目玉の全国六エリア別のご当地バージョンへと突入します。
この展開は正直想像できませんでした。てっきり、六エリア別の部分は、本編と切り離されて、上映の最初か最後にちょこっと各都道府県の名物を紹介するだけかと思っていました。ところが、本編内に食い込むか位置になっています。
これ、DVD化された時どうなるのでしょうか?多分、メニュー画面から地域別バージョンを選べるような仕様になるのでしょう。まさかとは思いますが、地域別に限定版として六本リリースされたりはしないでしょうね?若し六本出たならば、他地域の内容が凄く気になるので、私は多分六本買ってしまうと思います。


・鏡爺と本拠地で対戦
個人的にはここが最大の見せ場だと思います。
華とねずみ男のお陰で鏡の世界から脱出する鬼太郎。そこで鏡爺との決戦の火蓋が切って落とされます。
鏡爺の本拠とあって、至る所に鏡が設置されている高層ビル(?)の吹き抜けがバトルステージとなります。鏡爺にちゃんちゃんこと下駄、そしてブレーンの親父まで奪われてただでさえ戦力半減の鬼太郎なのに、地の利の無いアウェー戦はとても厳しいものになってしまいます。
白兵戦でさえ遅れを取っているのに、鏡を通じて瞬間移動をし、更には鏡に映った姿を利用した分身の術の前に手が出せない鬼太郎は絶体絶命の大ピンチ。
この鏡爺の格好良さは正直惚れ惚れしました。劇場版ならではのクオリティの高いハイスピードバトルは、見ていて壮観です。舞台となった吹き抜けを上ったり落ちたりする演出もとても格好良い。動きもとても細かい上に、凄く丁寧に作られているのがわかりました。
なんだかんだいっても、逆境に滅法強い奇跡の逆転ファイターゲゲゲの鬼太郎、当然の如くちゃんちゃんことリモコン下駄を取り戻して復活します。この力を取り戻すシーンで、ちゃんちゃんこが毛羽立っていたのが、ウェンツが着ていたちゃんちゃんこに見えて仕方がありませんでした。世間ではくさす意見もありますが、ここで連想してしまうことから分かるように、私はウェンツ版の鬼太郎も好きです。
まあ、お約束通りに最終的には、力を取り戻した鬼太郎の勝利に終わるのですが、とても素晴らしい活劇を見せてくれた鏡爺には殊勲章をあげたいと思います。
後、取り上げるべきは、ねずみ男の新技痰壷攻撃でしょうか。痰を吐いて鏡を封じて鏡爺のアドバンテージを奪っていましたが、よくもまああれだけ遠くの鏡に正確に命中させられるものだと感心しました。
なんだかんだいっても、結局ねずみ男は鬼太郎の最高のタッグパートナーでした。


・世界悪役妖怪会議
鬼太郎が日本で奮闘中に、悪役妖怪が一同に介するサミットが開催されていました。パンフレットによると、開催地はどうやらスイスだそうです。
劇場版予告で見ると、悪の妖怪が一同に介して、鬼太郎を倒す計画を練っているかと思いきや、実際は何の実りも無いつまらない会議でしかありません。
それどころか、この悪のサミットは本編に一切関係していませんでした。もしかすると、今後のテレビ版において悪の妖怪連合が結成されて、鬼太郎の前に立ち塞がる伏線なのかもしれませんが、少なくともこの劇場版の中においては、何の意味も持ちませんでした。
てっきり悪の妖怪がヤトノカミを復活させて、鬼太郎とぶつけるといったストーリかと思っていただけに肩透かしを食らった気分です。
ここで気になったのは、新顔の妖怪がいたことです。どうやらインド妖怪のラクシャサとのことです。ラクシャサといえば、四期の「髪の毛地獄」に出演していた妖怪ですね。今期もどうやら登場するようですので、今後の動向が気になります。


・鬼太郎の敗北
無事に鏡爺から華を取り戻した鬼太郎。華を自宅に送り届けようとしますが、母親の琴は娘の事を覚えていません。
その事により絶望した華は人間の世界など滅んでしまえば良いと願ってしまいます。その願いを受けて、人間界と妖怪の世界の境界が薄くなり、人間界に妖怪が大挙して押し寄せてきます。
ここがテレビ版を見ている人のサービスシーンでしょう。テレビ版に登場した妖怪たちが多分、全て登場します。
泥田坊や雪男、毛目玉、バリバリ、栄螺鬼、白山坊といったかつて登場したキャラクター総出演のお祭り騒ぎ。劇場ではとてもではありませんが全てを把握することは出来ませんでした。DVDが出たら、どの妖怪が出ているのかチェックしたいものです。
このオールスター快進撃は見ていて壮観の一言でした。
その異常の原因を作った華の元に、今回の黒幕ヤトノカミが遂に姿を現します。不完全な少年形態にもかかわらず、髪の毛針も指鉄砲も通用しないため、鬼太郎になすすべはありません。ねずみ男の再度の裏切りもあって、ヤトノカミの毒の前に倒れる鬼太郎。無情にもねずみ男はその鬼太郎を埋葬してしまいます。
この辺りのくだりは、個人的にはとても好きです。鬼太郎を親友だと言いながら、一方では平気で殺しにかかるねずみ男を良く現していると思います。アニメではあまり表現されませんが、ねずみ男は時として鬼太郎にとてもドライな態度をとっていますから、それが見られて、五期のスタッフはねずみ男が分かっていると感じました。


・蛇神の復活
鬼太郎を倒したヤトノカミは、華を生贄にして完全復活を遂げようと目論見ます。
それを知って怒ったのは、全国のロリコン代表鏡爺です。
少女の姿のままの華を貰えるといった約束を違えられたからの憤怒。義憤ではなく、自分の欲望が満たされないための怒りとは、なんとも浅ましいものです。
正義の為に起きたのではなく、私欲の為に起きた鏡爺ですから、当然の如くヤトノカミに返り討ちにあってしまいます。
その姿を見たねずみ男は、鏡爺を救出しようとします。それを見た大蛇女は、ねずみ男に語りかけます。ねずみ男は特別に生かしておく、他人から見捨てられ、孤独に生き、世界を恨んでいるのが自分と同じだからと。
すると、ねずみ男はこう返します。自分は世界に対してそれ程絶望していないし孤独でもない。それに慕ってくれているダチ公もいることだしと。
ねずみ男がその台詞を言ったと同時に、その”ダチ公“の声が聞こえます。「誰がお前を慕っているか」と。
このシーンは予定調和と分かっていても痺れました。自分を裏切った相手であるねずみ男をたった一言で許しているのが分かりますし、それだけ特別な関係といったものを一瞬で現している好演出です。
思えば、この映画は鬼太郎とねずみ男の二人のみをクローズアップした、原典の二人の関係性をとても上手く表現した作品に仕上がっています。
そして、復活を遂げた鬼太郎は、地獄の力を使ってヤトノカミを追い詰めますが、奮闘虚しく、結局はヤトノカミは完全体になってしまいます。


・四十七士集結
完全復活を遂げたヤトノカミは毒の霧を吹きかけて鬼太郎を攻撃してきます。
あわややられたかと思われたそのとき、鬼太郎を救ったのは我らがヒーロー夜道怪です。毒の霧を影の中へと封じてしまいます。
相変わらず美味しすぎる登場の仕方です。この夜道怪が出身地なのは埼玉県。埼玉在住の人はこの夜道怪を誇りに思ってよいと思います。それにしても、千葉や静岡との落差が酷い。
過去作品から活躍しているレギュラーを除くと、四十七士で一番格好良いのは間違いなくこの夜道怪でしょう。
因みに、今回の劇場版で戦闘に貢献しているのはこの夜道怪のみです。他のメンバーは全く活躍していませんでした。この御坊、出番が少ない割に、本当に優遇されています。
救援者は夜道怪のみでなく、現時点で覚醒している四十七士全員だと言って、覚醒済みの四十七士が登場します。
テレビでお馴染みのかわうそたちや、まだ登場しない新顔の猫又たちが出ています。正確な数は確認できませんが、ざっと視たところ二、三十人くらいといったと所でしょうか。ん、二、三十人?
一寸待ってください、予告では確か劇場版では四十七士が全員集結といっていたような気がしますが、四十七人揃っていませよ?私は、全員に満遍なく活躍の機会があるとは思っていないものの、少なくとも四十七士全員が覚醒して登場するとばかり思って劇場に足を運んだんですよ。
それがこの内容とは、これは一体どういう事でしょうか?
あの予告は嘘、大げさ、紛らわしい表現をしていたのでしょうか?
これって日本広告審査機構(通称JARO)に電話して訴えていいレベルの虚偽広告だったのでは?
「責任者でて来いと!」思わず叫びそうな展開です。おかしいだろう、あれだけ四十七士集結と言いながら、集結していないじゃないか!!
北海道や茨木、滋賀、愛媛、宮崎辺りの妖怪は地元に残っているじゃないか!!
ここで重大なネタばれが発生しました。テレビ百話の時点では四十七士全てが覚醒しません。打ち切りにならない限り、五期『鬼太郎』は三年目の放送がある模様です。
劇場版のこの展開は悪くないと思いますが、予告の打ち方が本当に悪すぎる。悪質だと思いますよね?
一時は劣勢になり、あわや死亡かと思われた鬼太郎ですが、四十七士の力によって復活を遂げます。
この時の立役者は夜道怪と呼ぶ子。夜道怪が呼ぶ子に各地の隠れた精鋭に呼びかけるように促し、未だ鬼太郎と面識の無い妖怪までもが一時的に覚醒します。他の四十七士メンバーの能力を熟知し、ここぞという時に指令を出す夜道怪。戦闘能力が高いだけでなく、チームのブレーンとしても十分に通用する機転の利かせ方が素敵過ぎます。心技体共に優れたオールマイティーキャラクタなのではないでしょうか?
テレビ本編において、夜道怪の出番が少ないのは、登場するとあまりの万能振りに、ストーリーが盛り上がらないからではないかと思えてきました。
本当に夜道怪は頼りになる格好良い妖怪です。

呼ぶ子の声により覚醒した全ての四十七士の力を集めた鬼太郎の地獄の究極奥義を越える新技、裂闘星霸(れっとうせいは)がヤトノカミを打ち倒します。この技、日本列島の形をした灼熱をぶつけるといったとても派手な豪快な技です。日本の精鋭の力を借りたからこその技ですね。
まあ、ぶっちゃて言うと元気球なのですが、この手の展開は使いどころと演出方法さえ間違えなけば、とても熱く盛り上がる話になります。今回の劇場版は成功したといっても良いでしょう。
多分、全四十七士覚醒後に二回目の使用の機会があるでしょうから、そこで二番煎じといわれない展開にして欲しいところです。
ここで気になったのは、四十七士のひとり雪女の葵です。葵はテレビ放送を見ている時は気がつきませんでしたが、ネットで巨乳だとはやしたてらるのを見て、思い返してみると確かにそうだなと感じました。私は妖怪に気を取られて、おっぱいなど見向きもしていませんでしたが、世の男たちの目線は、妖怪よりも女性の胸に向いているようです。本当に男って馬鹿ばっかりだと、つくづく思った瞬間でした。
そんなわけで、クライマックスのシーンでも、葵が登場すると胸元に目線が言ってしまいました。ネットで助平な人間の書き込みさえなければ気にならなかったのに、今では葵が出てくると条件反射で胸を見てしまいます。
今作においても葵の巨乳は健在でした。それどころか、地獄の奥義の暑さのあまり、胸元をぎりぎりまで広げてその白い柔肌をご開帳しています。
葵が気になる方は、葵の演技は見れませんが、艶技なら見れますの是非とも劇場に足を運んで、興行収入に貢献してください。



・総括
オールスター総出演と思いきや、ストーリー面ではねずみ男と鬼太郎の二人だけをメインに絞った展開になっています。そのため、とても纏まりが良かったと感じました。
鬼太郎ファミリーの面々をばっさり切り捨ててしまったのは少々残念ではありますが、話を上手く回すには仕方のない措置だったのでしょう。
映像面も凄く出来が良く、アクションシーンも見ているだけで楽しかったです。
アニメの『鬼太郎』劇場版の最高傑作といっても良いかもしれません。
少なくとも、五期が好きな人なら気に入るでしょう。


スタッフロールで六エリア別の協力地が紹介されるのですが、見てないところの紹介をするのはやめて欲しいです。見たくなってしまいますから。
入場料だけなら別に痛くはありませんが、交通費が洒落にならないことになってしまいます。
出来ることなら、このクオリティーの次回劇場版があることを切に願います。