『ゲゲゲの鬼太郎』5−93   

ゲゲゲの鬼太郎』第九十三話「おばけビルの妖怪紳士!」の感想です。
今回のエピソードは、原作及びアニメの二、三、四期でもあった「だるま」のリメイクでした。
妖怪だるまの立ち退き問題が話の中心になっているので、大筋は変わらないのですが、時代に合わせたためか細部が色々と変わっていました。
まず一番違うのは、三期まではあっただるまの入居のくだりが無くなった所でしょうか。今期のだるまは、入居のトラブルから人間と諍いを起こすのではなく、立ち退き反対が原因で揉め事になっています。
だるまの職業も変わっていますね。過去の作品では、妖怪相手の相談所を開いていただるまでしたが、今回は美術商に転職していました。いずれも妖怪相手という点は変わりありません。ビルオーナー石垣金五郎氏の祖父銀太郎の代から続いている画廊なのですから、今までに妖怪を目撃したといった騒動があってもよさそうなのに、今回の話を見ると、そういったトラブルは一切無かった模様です。人間を脅かさないように、周りに気を配りひっそりと営業していたという事でしょうか。今までの作品においては、妖怪が大挙して押し寄せて来た為、他の住人が怖がって逃げていましたが、今回はそういった場面が無かったですね。この辺りはタイトル通り、紳士的と言っても良いでしょう。
後はだるまの弱点である心臓が「笑いのツボ」になっていました。これは、心臓だと残酷だからもっとソフトな表現に置き換えようといった配慮なのでしょうか?この心臓が「笑いのツボ」に変更された点が一番五期らしいと感じました。


今回の話の見所は、なんと言っても妖怪だるまのキャラクタの濃さでしょう。
膝を抱え込んで転がりながらやって来るという登場の仕方からして今までの妖怪とは一味違います。玩具の達磨の転がっても起き上がるという特性をあらわしているのは分かるのですが、普通の人と同じ等身のキャラクタがやっていると、玩具の様な滑稽さは見えず、寧ろ恐ろしさを感じてしまいます。
立ち退きについての話し合いをしている時も、正論を述べて且つ恫喝するのはインパクトが強かったですね。そして、顔が濃いだけでなく、声も濃い。あのだるまの容貌にあった太い声は素敵でした。声優さんの怪演に拍手を送りたいと思います。
あの声で人生論を語られると説得力がありますよね。他人の価値観に流されるのではなく、価値観を決めるのは自分自身だと言ったり、回想シーンで屋上から花火を見ながら語る姿は玩具の達磨の滑稽さは見えず、寧ろ達磨大師の姿が垣間見える格好よさでした。
また、正体を現すところも凄かった。あの一見人間に見える姿が仮のもので、玩具の達磨に手足が生えた方が本当の姿だというのは最初から分かっていましたが、尻が裂けて人間形態から達磨形態になるとは予想だにしませんでした。達磨の顔は上下反転させると、憤怒の形相から笑い顔に変わります。きっとその見立てなのでしょう。達磨の特徴や背景を良く考えて作って有るなと思いました。
今回は他にも、達磨ストーブや達磨落しが背景に出ていて、妖怪だるまだけでなく全編通じて達磨尽くしでした。世間一般で「だるま」と聞いて連想する大抵の要素が詰まっていたのではないかと思います。こういった話の本筋に無関係な細かい所にも手を入れてあり、遊び心がいい感じに効いていました。
理知的に見えて、直ぐに実力行使をする短慮さがやや球に瑕ですが、五シーズン通じて最も良いキャラクタになったのが今期のだるまではないかと思います。


今回大活躍の達磨は、原作が『墓場の鬼太郎』だった頃から登場した最古参のひとりで、アニメの一、三、四期でメインエピソードが有る大物です。二期でも活躍こそまったくなかったものの、一応「妖怪代裁判」で登場しているので、実は数少ないアニメ皆勤賞妖怪になります。
過去の作品においても、基本的にはだるまとビルオーナーとの入居に関するトラブルが中心になっており、存在しない四階に居座るのが常になっています。
このだるまは、元々は禅宗の開祖とされる達磨大師(बोधिधमृ)という人間でした。インドの王子だった達磨大師ですが、仏道に入ります。そこで面壁九年、九年間壁に向かっての座禅行い、手足が腐ってしまったといいます。この手足が腐ったという伝説から、玩具の達磨が誕生します。また、達磨が赤色をしているのは、達磨大師が赤い衣を身に纏っていたからだといわれています。
その後、日本では江戸時代に長崎に伝わり、商人を中心に縁起物として全国に宗教、宗派を超えて広まりました。願い事をして、祈願成就すると目を入れるのが一番有名ですが、疱瘡避けの効果が有るとされたり、養蚕や海運厄除にも用いられています。
その起き上がり小法師の達磨が一種の人気キャラクタとして妖怪の仲間入りをします。これが今回『鬼太郎』に登場しているだるまの原型でしょう。
達磨大師が妖怪になったのではなく、達磨大師をモデルとして出来た玩具の付喪神が妖怪だるまだと解釈するのが正解だと思います。
どこかに出没したといった話は記憶にありませんから、完全な作られたキャラクタとして存在している妖怪だと思います。よく、江戸時代の妖怪画が書かれた玩具、双六や歌留多に登場していたらしいので、人気が有る妖怪だったのでしょう。
有名どころを挙げるとすれば、妖怪絵師の大家鳥山石燕でしょう。石燕の『画図百鬼夜行』に木魚達摩といった妖怪が登場します。そこには「杖仏木魚客板など、禅床ふだんの仏具なれば、かゝるすがたにもばけぬべし。払子守とおなじきものかと、夢のうちにおもひぬ」とあります。


話の中で一番疑問に感じたのは、守銭奴の如き態度の石垣婦人が収支計算をせずに、丼勘定でビル経営を行っているフシがある所です。だるまはきちんと契約をして入居していましたから、当然賃借料も払っていたのでしょう。とすれば、石垣氏には定期的に賃料が振り込まれているのですから、ちゃんと帳簿をつけていればだるまからの家賃があるのが分かりますから、そこで正体不明の入居者に気付きそうなものです。
だるまが賃借料が発生しない契約の元に居座っているから気が付かなかったという可能性も考えられますが、だるまの断固とした態度を見ると、ただで居座っているようには見えません。正当な契約を結び、決められた家賃を定期的に支払っているからこそ己の権利を主張しているのだと推察できます。
契約書を破り捨てたり、舌の根も乾かぬ内に約束を反故したりと、石垣婦人の褒められない行動から察するに、経営も正しく行われたとは思えません。
オーナー側の管理が徹底していないために、だるまの存在が分からなかったのではないかと思います。
こうやって書いてみると、石垣婦人が悪役のように思えてきました。本編見ていると、そんな風には見えないのに。


最終的に、ビル取り壊しが補修に切り替わってしまうのはアニメだからということで深く突っ込まない方向にしましょう。
滑稽な達磨をメインに持ってきているのに、意外と怖かったというのが総合的な印象でした。
存在しない四階は最早お約束なので、特に怖いと感じませんでしたが、散々見てきただるまがとても怖く見えました。だるまのキャラクタ付けがとても優秀だったからでしょう。
また、どちらかといえば人間に非が有る展開は、四期の作りに近いと感じました。