『ゲゲゲの鬼太郎』5−97   

ゲゲゲの鬼太郎』第九十七話「衝撃!!鬼太郎猫になる!」の感想です。
今回は、原作の「猫町切符」と「妖怪猫魈」の要素を多分に取り入れたアニメオリジナルの話になっています。アニメでは、四期第二十八話「幻想譚・猫町切符」第百八話「不老不死!猫ショウ」が該当作品です。意外なことに、「猫町切符」「猫魈」共に、アニメ化されているのは四期だけです。
また、猫が事故にあったり、人間に復讐する・支配するといったところは、「化け猫」「猫仙人」から来ているのでしょう。
ある意味『鬼太郎』シリーズにおける猫エピソードの集大成とも言える話ですね。


さて、今回は猫妖怪が二体登場しています。
まずは富山代表の四十七士として覚醒した猫又の野良です。
猫妖怪は古典怪談をはじめ、日本各地に非常に多数の話が残っています。
その数多くある中において、固有の名称があるものとして一番有名なのが猫又でしょう。
猫は年を経ると化けると言いますが、その中で特に長生きをしたものが尻尾が二本に分かれ猫又になると謂われています。
かなり古くからいる妖怪のようで、鎌倉時代には既にその名で呼ばれていた模様です。一番古いものでは、藤原定家の『名月記』にその名が見られます。
他にも吉田兼好の『徒然草』や荻山安静の『宿直草』、『曾呂利物語』にもその名が見え、とても有名な妖怪であっったのが分かります。
これらの古典文献によると、山奥に住む妖怪だとされています。これは、中国の仙狐、仙狸といった猫妖怪の伝承が日本に伝わり、広まったいったものだと考えられてます。
作中で、猫又が鬼太郎たちに猫に変化する富山の猫又山で取れた「猫柳の実」を渡していました。いくらなんでもそんな名前の山などないだろうと思う方もいるでしょうが、この猫柳の産地である猫又山は実在します。富山の猫又山も山岳系の猫又の伝承がまずあり、そのまま地名になっているのです。ついでに言うと、猫柳という植物も実在します。猫又山に生えているかどうかまでは分かりませんが。一見、猫又のエピソードだから、適当に猫の名前を付けた場所やアイテムを捏造して作中に登場させているように感じますが、実は本当に存在するものを登場させているというのがとても心憎い演出だと感じました。
他に山岳系の猫又伝説が地名になっているところでは、会津の猫魔ヶ岳などがあります。
一方で、町中で飼い猫が猫又になるといったケースもあります。猫が死体を跨ぐと死体が動き出すとか、死体を盗むといった火車に通じる伝承は、こちらの町の猫又が影響しているようです。
猫又は原作や過去のアニメでは、「雪姫ちゃん登場」や「猫又の恋」(二期の「猫又」の原作)などに登場してはいますが、多分今期のものとは別物でしょう。猫又の野良は五期オリジナルのキャラクタと考えて良いかと思います。
外見は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれている猫又を参考にしています。夜中に後ろ足だけで立ち、まるで踊っているように見える頭巾を被った猫は、今回登場の野良そのものです。
また、今期の猫又は出身地の富山要素をかなり取り入れていたのが良かったと思います。越中富山と言えば行李を背負った薬売りはとても有名ですからね。猫又が売り歩いていたのは、さしずめ反魂丹か万金丹といったところでしょうか?
行李を背負って行商することはなくなったものの、今なお富山の薬は置き薬として現役で活躍していますからね。
四十七士の中で、一番地域色が強い妖怪なのではないかと思います。


今回、敵役と登場したもう一方の猫妖怪は猫ショウでした。漢字で書くと猫魈です。四期もそうでしたが、魈(すだま)という字が難しいためか、仮名になっています。
原作『新編 ゲゲゲの鬼太郎』とアニメ四期では、若返りの方法を盗み、他人の生気を奪って猫又から進化していましたが、今期では自力で猫魈へと昇格したようです。どうやら努力家のようで、過去作品の猫魈に比べると好感が持てます。
猫又の妖力が強くなると猫魈になるそうですが、本当にそういった伝承にあるかどうかは今ひとつ良く分かりませんでした。少なくとも日本にはいない妖怪のようで、どうも中国に伝わっているものみたいです。
今期最大の特徴は尻尾が三本あるところでしょう。原作と四期の時は尻尾が二本しかありませんでした。猫又と猫魈と同じ猫妖怪が二体同時に登場するので、差別化を図るために取った措置だと思います。尻尾が多いほうが強いというのは、とても分かりやすいので良い設定だと思います。


今回はなんと言っても猫又の野良が格好良かったですね。
猫というと、愛くるしい造詣をした動物といったイメージが強いですが、猫又は逆のイメージ強く、精悍という言葉が似合いそうです。
過去に人間に虐げられたことがあるようなことを匂わせていましたが、それを恨まずにいて、逆に受けた恩は忘れていないしっかりと覚えているところは凄いと思います。普通は逆に、受けた恩は忘れて、厭な事はいつでも覚えているんですけどね。それを考えると、猫魈の方が普通の感性をしていて、人間味があるともいえます。
もう一方の猫妖怪である猫魈も良いキャラクタだったと思います。
原作や四期の猫魈は単純に悪いだけの悪役でしたが、今期の猫魈は悪事を働くにしても、そこに至るまでの事情があり、気持ちを共感できる敵役へと変わっていたのが大きな違いですね。
同じ出自でありながら正反対の生き方をした猫又と猫魈の対比が上手くできたと思います。


折角猫町を舞台としたのに、地下鉄に乗って猫町に入るシーンがないのは残念でした。
猫町のシーンでは、尻尾がないから他の猫に怪しまれるという親父の発想は笑いました。尻尾の有無よりか、一反もめんの存在のほうが怪しいでしょう。尻尾云々以前に、先ず猫の形をしていません。


猫魈との決戦は鬼太郎ではなく猫又が戦って貰いたかったです。まあ、あそこで鬼太郎が頑張らないと、主人公の存在意義にかかわるから仕方ないと分かるのですけどね。折角の因縁がある二匹なのですから、あの二匹に物語の幕を下ろして欲しかったです。
ただし、猫招きの術は、水木テイストが溢れていて好きです。どんな効果なのか今ひとつはっきりしなかったので、その点だけが気になりますが。