『ゲゲゲの鬼太郎』5−98   

ゲゲゲの鬼太郎』第九十八話「おやじ大充血!勇者鬼太郎」の感想です。
今回は、ゲームを題材に採った話とあって、一風変わったものになっていました。
携帯ゲームという今流行のアイテムを盛り込むあたりが、とても五期らしかった思います。
作中に登場していたゲームは、『モンスターハンター』がモデルなのでしょうか?最近ゲームを殆どやっていないので、あたっているかは自信がありません。


さて、今回の登場妖怪は文車妖妃でした。私の主観ではメジャー妖怪に分類されます。
過去のアニメ作品には未登場で、原作にも登場していない妖怪だったと思います。
ウェンツ主演の劇場版第二作『千年呪い歌』に中川翔子が演じていたのが、文車妖妃の『鬼太郎』シリーズ唯一出演作でしょう。
『千年呪い歌』においては、妖怪図書館の司書を勤めていて、足元をあらわにしたセクシーな妖怪として描かれていました。取り立てて目立つ役どころではありませんでしたが、結構印象に強く残っています。
大元の出典は、鳥山石燕の『百器徒然袋』に収録されている同名の妖怪画です。
どうやら、鳥山石燕の創作妖怪のうちの一体の模様です。
文車から手紙を取り出すような格好をした老婆がそこには描かれています。
添えられている説明文は、

歌に 古しへの文見しひとのたまなれやおもへばあかぬ白魚となりけり かしこき聖のふみに心をとめさへかくのごとし ましてや執着のおもひをこめし千束の玉章には かゝるあやしきかたちをもあらはしぬべしと 夢の中におもひぬ

となっています。
多田克己の『百鬼解読』によると、吉田兼好の『徒然草』第七十二段にある、「賎しきものは不必要に数の多いことである。しかし、多くて見苦しからぬは文車の中の書物、塵塚の塵である。」という部分から、鳥山石燕は賤しからぬ、つまりは高貴な妖怪として文車妖妃を考え出したと解説しています。
また、上記の石燕の解説文の暗喩を解読した上で現代語訳すると、

和歌に、古の読書人王仁の(魂というべき)珠玉の名著(この場合は『腺文字』か)かと思えば、きたない白魚の虫食い状態であった(という一首がある)。賢聖が得度した真言を込めた経典でさえ、同じ結果となる。ましてや異性を愛してやまない感情を膨らませ、それを文字に込めた千(多くの)束の手紙の内容には、いかなる怪文や怪しい文体が表現されているかと、夢うつつに考えた。

となるとしています。
心に秘めた恋心が表に出たとき、他人からは見苦しく見えるさまを妖怪画にしたと解釈すればいいのでしょうか?


今回は、鬼太郎一行がゲームの世界に入ってしまうというお話でした。『鬼太郎』よりか『ぬーベー』の方が似合いそうなネタだと思います。


最初の書庫の場面と、ゲームに入ってすぐの場面で巻物を図案化したような背景を見て、どことなく文車妖妃を連想しました。しかし、その後にいかにもRPGに出てきそうなデザインの魔女が登場したので、いやそれはないだろうと思い直しましたが、最終的にはご覧の結果でした。
今回は、先週予告で登場妖怪を伏せていたので、どんな妖怪が登場するかまったく読めず、とてもわくわくしながら視聴できたのが良かったですね。
最初は文車妖妃を疑いましたが、魔女が出てきたあたりから、西洋妖怪の一員の仕業かと考え直しました。『鬼太郎』で魔女といえばフランスの魔女(固体名が無いんですよね)が一番有名ですが、他にも五期のオリジナル魔女のザンビアが居ますし、ロンロン、グルマルキン、ジニヤーと『鬼太郎』シリーズには沢山の魔女が登場します。今回も、新たな魔女が西洋妖怪の一員として登場したのかと思いました。その後、お姫様と魔女がその本性をあらわしたときは、西洋妖怪で二人組みの美女ということは、ゴーゴン三姉妹の残り二人、ステンノ、エウリュアレーが妹の仇をとる為に登場したのかと期待してしまいました。でも、その正体が文車妖妃だとわかりちょっと残念でした。ゴーゴン三姉妹は残りの二人が登場する伏線が張ってありますが、この様子だと回収できないまま作品が終わりそうですね。
ゴーゴンが登場せずがっかりした反面、原作未登場の妖怪が登場するのは嬉しくあります。


目玉親父がゲーム好きなのは意外な気もしましたが、「イエス ダディ」の三十六話を思い出して、五期の親父らしいと思い直しました。今期の親父さんはお茶目というか、俗っぽいというか、今までの親父さんとは大分印象が違います。今までの親父は、どちらかといえば若者文化を見て「今時の子供は嘆かわしい」というスタンスでした。しかし、今期の親父さんは流行に流されまくりです。若者たちに対して理解があるとも言えますが。
頑固親父とミーハーなダディではどちらが良いと比べるものではないと思います。シリーズ毎にキャラクタの性格が変わって安定しないのは原作も同様です。私は、過去作と比べて違うと文句を付ける気はありません。むしろ、そのギャップをネタとして楽しんでいます。
だから、五期が終わるまでは親父さんにはユーモラスな姿を見せ続けてほしいと思います。


文句を付けるところがあるとすれば、親父の性格ではなく、寧ろラスボス戦での親父の発言です。
文車妖妃に勝てない鬼太郎たちに対して、親父と夜行さんはプログラムを不正に弄くり、鬼太郎たちの能力値と所持品を変更してしまいました。実際のゲームをプレイして楽しんでいるのではなく、妖怪退治をするために取った措置だと考えればまあ納得できますが、そこで親父が「これがゲームの醍醐味」と言った点だけはいただけません。
ゲームは自分でプレイしてキャラクタの能力を高めたり、プレイヤーのテクニックを高めたりして攻略することこそが醍醐味でしょうに。
文車妖妃との戦闘自体は、特に魔女が変身して巨大化したりするあたりがRPGの最終決戦らしくてとても良かっただけに、親父の問題発言にはがっかりでした。


最後に少女の姿になった文車妖妃ですが、一反もめんとのツーショットが本当に似合うと思いました。
五期の四話もそうでしたが、一反もめんと少女の組み合わせは相性が抜群ですね。コットンが面倒見のよいおじさんキャラだからでしょう。
またタオルさんが鏡爺や壷仙人と違い、ロリコンではないところが大きなポイントだと思っています。