『ゲゲゲの鬼太郎』5−99   

ゲゲゲの鬼太郎』第九十九話「都会の天守閣!妖怪亀姫」の感想です。
今回登場の妖怪は、姫路城の長壁姫と猪苗代城の亀姫の姉妹妖怪です。
『鬼太郎』シリーズには、原作及びアニメ双方に未登場の完全な新キャラクターになります。
個人的な感覚では、長壁姫はメジャーな妖怪で、亀姫はあまり知られていないマイナー妖怪といったイメージがあります。姉妹なのに、なぜ知名度に差があるかといえば、長壁姫が妖怪画の聖典ともいえる鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に収録されているのに対して、亀姫が石燕のものも含めて、有名な妖怪画集に出ていないからだと思います。少なくても、私は水木先生の手のもの以外の亀姫のイラストを見たことはありません。

恒例の妖怪解説ですが、先ずは姉の長壁姫です。
刑部姫、小刑部姫とも書き、また城内では八天堂と呼ばれていたようです。
甲子夜話』『耳袋』『老媼茶話』『諸国百物語』『西鶴諸国ばなし』『今昔画図続百鬼』といった江戸時代の作品にその名が登場することから、当時はかなりの人気と知名度がある妖怪だったようです。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にも「長壁は古城にすむ妖怪なり。姫路におさかべ赤手拭とは、童もよくしる所なり」と書かれていることからも彼女が有名だったことが伺えます。
姫路城の五重の天守閣の最上階に棲むとされて、姫路城の真の城主だとも謂われています。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』では、獣か老婆かに見える醜い容貌として描かれていますが、目撃情報が複数あり、石燕の描く姿のような老婆であったり、十七・八歳の上臈であったり、三十歳位の美女であったりとその姿は見る人によって異なるようです。
人間嫌いの性格をしていて、基本的には人前に姿をあらわさないものの、年に一度だけ城主と面会するといわれていて、その時に城の運命を告げるといいます。
その正体に関しては、天武天皇の娘として生まれた富姫、伏見天皇の寵愛を受けた小刑部という女房の霊、老狐が化けたものなど諸説あります。この中で一番有力だとされているのは、狐の化身だとする説でしょうか?妖怪研究家多田克己によると、姫路城の大天守閣には「おさかべ大明神」と呼ばれる神が祀られており、このおさかべ大明神は正一位を授けられています。正一位とは稲荷神などのごく限られた神に与えられた官位の最高位であり、この正一位を得たことにより、稲荷と習合したがために長壁の正体は狐となったといっています。
変り種では『綜合日本民俗語彙』で姫路から備前にかけて蛇のことをサカフとよび、オサカベとは蛇神のことだとする説もあります。
水木先生の『妖鬼化』にも長壁姫は収録されていますが、アニメ登場のデザインとは異なっています。水木先生のものは鳥山石燕のイラストとまったく同じデザインと構図になっています。


次いで妹の亀姫です。
最初に四十七士が発表になったときとは随分とデザインが変わって、なんというか大分可愛らしくなっています。個人的には、最初のデザインはあまりにもパッとしないものだったので、変更されて良かったと思っています。
亀姫は三坂春編編の怪談集『老媼茶話』にその名前が見られます。そこにある記述によると、寛永十七年十二月に堀部主膳という城代の前に見知らぬ子供があらわれて、「お前はまだ城主に挨拶をしていない。はなはだ無礼である。今日は主がお前に会ってやるとのこと。急いで正装して参れ」と言いました。主膳は狐狸の類であっても捨て置けないと思い、自分の主は加藤明也であり、他に城主は居ないと叱り付けました。すると子供は「この城始まってより主は亀姫様に他はない。姫路の刑部姫と猪苗代の亀姫をしらぬのか。お前の天運は既に尽きたり」と言って消えてしまいました。
翌年の正月朝、主膳が家来たちから年賀の礼を受けようと広間に行くと、自分の席に棺桶と葬式の道具が置けれており、家来に聞いても何者の仕業かわかりませんでした。その日の夕方には、どこからか餅をつく様な怪音が聞こえてきます。
そのような怪異のあった後、主膳は一月十八日に倒れ、その二日後には予言どおりに死んでしまいます。
この話から察するにどうやら、亀姫は猪苗代城の真の城主のようです。また、長壁姫同様に、猪苗代城の天守閣に棲んでいます。
後日談として、ある侍が城外で大入道に出会い、それを切りつけた所、その正体は狢でした。その後、亀姫の怪異が発生しなくなったため、亀姫は狢の変化だとする説もあります。
『老媼茶話』には亀姫本人が登場しないので、一体どういった風貌をしているのかははっきりとしませんが、水木先生の『妖鬼化』には禿姿の童女が描かれてます。一見すると大禿に見える絵です。
一説によると、亀姫は禿姿の童女の姿で、丁重にもてなせば城の安全を保証するが、うっかり粗末にすると城主は死ぬと謂われています。水木先生は、この伝承から亀姫のイラストを起こしたのでしょう。
また、伝承とは少々毛色が違いますが、亀姫は泉鏡花の戯曲『天守物語』にも登場しています。ここでは長壁姫をモデルにした富姫(前述の天武天皇の娘の伝承を参考にしての設定でしょう)の妹が亀姫だとされています。この作品の亀姫は、女童ではなく妙齢の美女として描かれています。
この作品で一番驚くところは、亀姫の一の家来として朱の盤が登場していることでしょう。
ここで出てくる朱の盤は、

朱の盤坊、大山伏の扮裝、頭に犀の如き角一つあり、眼圓かに面の色朱よりも赤く、手と脚、瓜に似て青し。

と表現されています。『鬼太郎』の作中に出てくるものとほぼ同じ姿形をしています。もしかすると、水木先生はこの『天守物語』の記述から朱の盤のデザインを起こしたのかもしれません。
この作品においての姉妹は非常に仲が良い様子で、最初こそはほのぼのとした雰囲気が漂っているのですが、妹の亀姫が姉の元とに参上する手土産として猪苗代城城主の首を持参するなど生々しい表現が出てきてとても蠱惑的作品に仕上がっています。原作は古いもので現代人に馴染み難いかもしれません。この作品は2006年にアニメ化されているので、先ずはそちらを先に見るのも良いかもしれません。原作の怪しくも美しい雰囲気が再現されている作品になっています。ただし、ストーリは原作と大幅に違いますし、亀姫も出てきてはいません。


最後のおまけに、何故か登場した西洋妖怪ケルベロスです。
意外なことに『鬼太郎』シリーズでは初登場となります。初登場なのにあの噛ませ犬扱いはあんまりだと思いました。非常に有名かつ人気のある妖怪なだけに、とても勿体無い使い方をしていると感じました。取り立てて目立った活躍もなく、本当に何のために出てきたのかさっぱりわかりません。
ケルベロスはご存知のように、ギリシャ神話に登場する巨獣で、テュポーンとエキドナの息子とされています。三つの頭を持つ犬の姿で、ハーデスの地獄の門を守るとされています。アニメに登場したのも、この基本的なイメージから逸脱しないデザインになっていました。
また、大食であり、人間を地獄に導く抑制のない食欲の象徴でもあります。
異説では、頭の数は三つ以上、五十であったり百であったりする他、尻尾が蛇になっているなどさまざまです。
水木先生の『妖鬼化』では、三つの犬の頭と鳥の足と尻尾を持っている紳士が描かれています。これはソロモンの72柱の魔神の一柱のようで、地獄の番犬とは別物のようです。


今回は馬鹿馬鹿しい話であるにも拘らず、スケールの大きさは五期で一番大きなものではなかったかと思います。
兵庫県姫路市にある姫路城(白鷺上城)の城主長壁姫福島県耶麻郡猪苗代町にかつてあった猪苗代城(亀ヶ城)城主の亀姫の姉妹が二百年に一度、どちらが雅かを競い合うといった話でした。
今回の舞台は猪苗代城の跡地に立った高層ビルディングになってますが、猪苗代城の跡地はビルではなく公園になっているのでは?
デザイン変更されて可愛らしくなった亀姫は結構好きです。造詣だけでなく、性格や城主を呼びつけようとするあたりが伝承にあるものととても似ていますから。伝承というより、泉鏡花の『天守物語』登場する亀姫と似ているからと言い直した方が良いでしょうか?
ちなみに、今回出てきた亀姫の腰元は最年長の人は舌長姥と、以下は桔梗、萩、葛、女郎花、撫子、薄、鬼灯、蜻蛉と勝手に命名しました。いずれも『天守物語』の登場人物名になります。本来、桔梗、萩、葛、女郎花、撫子、薄、鬼灯、蜻蛉は本来は長壁姫(富姫)の家来なのですが、そこは気にしてはいけません。


式神が人間を襲い魂を抜いていましたが、この式神のデザインはなかなか良かったと思います。いかにも呪詛に使う人形といった感じがしますからね。ただ、色は赤ではなく白の方が良かったと思います。白くすると、映像的に分かり辛いから赤くしたのでしょうか?
少し前の安倍晴明ブーム以来、一時期は随分と有名になった式神ですが、このところめっきり話題に上らなくなりました。あのブームがもう盛り返すことはないでしょうから、こういった妖怪関係の所で細々とでもいいので、ちょっとした活躍して存在が忘れ去られないようにして貰いたいです。


今回の事件の元凶になったのはねずみ男と知って一安心しました。やはり、『鬼太郎』で何か厄介ごとを起こすのはねずみ男を置いて他には居ませんからね。ただ、ねずみ男が実際にペテンを仕掛ける場面や、最後にしっぺ返しを食らうところがばっさりとカットされていたのは残念でなりません。やはり五期はねずみ男分が足りなさ過ぎるように感じます。


雅比べを競うもう一方の長壁姫は、二百年研鑽を積み巨大な竜巻を生み出す術を開発します。しかも、琵琶湖の水をすべて吸収して巨大な水竜巻を作り上げて姫路城ごと兵庫から福島までと移動します。
琵琶湖を水源とする様々な施設と、通り道にいる人たちにとってはこれ以上ないほど迷惑なことでしょう。こう、世界征服を企む悪の妖怪が攻めて来たとか、土地開発による自然破壊などの人間が犯した過ちのせいで大惨事になるならまだわかりますが、何で妖怪の娯楽のために生命を脅かされなければならないのでしょうか?
本当になんともはた迷惑な連中なのでしょうか。対決するのは構わないけれども、人の迷惑にならないように他所でやれと思いました。
これは、今までの『鬼太郎』にはない新しいパターンの大事件ですね。


さて、猪苗代城での雅比べですが、人魂を使ってのイルミネーションや花火は確かに雅と感じるものがありますが、巨大水竜巻は果たしてあれは雅と呼んで良い物なのでしょうか?私は、あのシーンだけを見たら亀姫に軍配が上がると思います。
しかし、どちらが雅かを判定するに当たって、結局は双方竜巻を発生させての実力勝負。まるで喧嘩神輿を見ているかのようです。一体どこが雅なのか理解できません。
私の「雅」に関する認識がおかしいのかと思い、辞書で雅を引いてみると、

〔動詞「雅(みや)ぶ」の連用形から〕宮廷風であること。上品で優美なこと。また、そのさま。風雅。風流。

とありました。
この内容からは、どう連想すれば竜巻に繋がるのでしょうか?
もしかすると、人間と妖怪では「雅」という単語の定義が違うのかもしれません。
妖怪の認識と人間の認識の間には大きな、マリアナ海溝よりも深い隔たりでもあるのでしょう。


竜巻合戦が過熱して、猪苗代城周辺は物的、人的被害がとんでもないことになっていました。
周囲の人間は亀姫に魂を抜かれて竜巻に巻き込まれ、建物は壊滅状態。五期ではここまで都市が破壊された事態になったのは初めてのことでしょう。
見栄の張り合いの結果が地方都市の壊滅ととんでもないことになっています。


最終的には鬼太郎がもはや何でもありになった霊毛ちゃんちゃんこを使って何とか竜巻を封印します。その芸(?)を見て長壁姫と亀姫は満足して大人しくしてくれました。
その後、最終的に琵琶湖の水も、猪苗代の町と人も元通りに戻してくれます。壊すだけでもなく、直すこともできるとはどれだけの力を持った妖怪なのか計り知れません。
この二人は、もしかするとバックベアードより強いのではないかと思えてきます。雅比べという娯楽ではなく、まともに戦闘したら閻魔様か迦楼羅様くらいしか太刀打ちできる相手はいないでしょう。流石は正一位の位を授かるだけのことはあります。


ラストシーンでは、なんだかよくわからないうちに四十七士に覚醒する亀姫と長壁姫。散々振り回された鬼太郎はげんなりと心底厭そうな顔をしています。わがままではた迷惑な姫様たちですが、戦力的に考えるとこれ以上ないほど強力な仲間でしょうから、快く迎えるべきですよ。
この話を見た後だと、劇場版でヤトノカミにあれほど苦戦したのがおかしく思えてきます。長壁姫と亀姫が協力して戦えば、ヤトノカミくらい余裕で勝てたように思えます。何であんな十把一絡げな扱いになっていたのか不思議でなりません。


今回は伝承にある妖怪像そったキャラクター設定がされていて、かつ話し自体もとても面白かったと思います。
これだけの良作が次週で終わりになるとは、なんとも残念でなりません。