雑記 其の弐〜対話〜

どうでも良い話ですが、昨日の記事を読み直してみると、

編集者とつよポンの対話こそが、あとがきの肝だと思います

という部分が気になってしまいました。
昨日は、指の向くまま気の向くままに打鍵をしていたので気が付きませんでしたが、今読んでみると「対話」という部分が某宗教団体の決まり文句の様な気がしてきました。


日本の法律でも保障されていますし、私の生活に影響を及ぼさない限りは、誰がどんな信仰をしようと自由ですし、その事についてとやかく言うつもりはありません。どの宗派であれ、それを否定するつもりも、進んで教義に賛同ありません。


しかし、某教団の良く使う台詞を使ってしまうと、自分もその仲間に見られてしまうような気がしてしまいます。
気の回しすぎだということは分かってはいるんですけど、どうにも尻の据わりの悪いんですよね。